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東京高等裁判所 昭和43年(ネ)276号 判決

控訴人(付帯被控訴人)

東京都

代表者

都知事

美濃部亮吉

指定代理人

安田成豊

外一名

補助参加人

吉賀正幸

外二名

代理人

山下卯吉

外一名

被控訴人(付帯控訴人)

螺良春吉

代理人

鳥生忠佑

外四名

主文

一、第二七六号控訴事件について本件控訴を棄却する。

二、第九五六号付帯控訴事件について

(1)原判決中被控訴人(付帯控訴人)の敗訴部分を取消す。

(2)控訴人(付帯被控訴人)は、被控訴人(付帯控訴人)に対し、二二三、六〇〇円および内金一五三、六〇〇円に対する昭和四〇年一〇月五日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(3)被控訴人(付帯控訴人)の当審におけるその余の請求拡張部分を棄却する。

三、訴訟費用中、補助参加人らの参加によつて生じた分は補助参加人らの負担とし、その余は、右両事件を通じ、第一、二審とも控訴人(付帯控訴人)の負担とする。

四、前記二の(2)につき、かりに執行することができる。

事実《省略》

理由

一〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められる。

(1)  被控訴人は、昭和四〇年一〇月五日勤務先である東洋バーナー株式会社(東京都品川区中延二丁目七番二号所在)の仕事を終えて午後六時ごろ同僚の訴外小林勝とともに右会社を退出し、東京急行池上線荏原中延駅付近の食堂、喫茶店等で酒やウイスキーなどを飲んだ後、同日午後一〇時ごろその近くの野村商店(同区中延二丁目一五番八号所在)の横にある公衆電話(いわゆる赤電話)を利用して自宅(当時、東京都北区豊島三丁目一二番地殿塚方)に電話をかけたが、右赤電話は、野村商店の店舗の南側にある幅1.14メートルの狭い通路の片側に置かれた幅約三〇センチメートルの台の上に設置されていたもので、被控訴人がこれを利用して通話中、小林は通路の反対側の塀に寄りかかつて電話のすむのを待つていた。そこへ野村商店の若い女店員訴外五島みね子が、同じく同僚の女店員訴外市川とみえとともに、店じまいのため牛乳の空びんを入れた箱を向き合いになつて両手で持つて運んできて、市川が先になり五島が後になつてこれを右通路奥の置場に片づけるべく被控訴人と小林の間を通り抜けようとしたところ、被控訴人が酔余のいたずら心から、そこを通り過ぎる右両名の臀部を次次に右手でさわつたので、同女らはこれに抗議したが、被控訴人らの酩酊した態度を見て気味悪くなり、店内に入つた。そして、同女らは、右通路の奥に格納してあつた店舗表戸のシャッターの支柱を取りに行くことができないため、店じまいができないまま、野村商店の主人の帰るのを待つていた。そのうちに、被控訴人は急に気分が悪くなり、電話を小林に代つてもらつて通路入口付近にうずくまつた。そこへ右商店の主人訴外野村栄一郎が自転車で外出先から帰宅し、右自転車を通路奥の自転車置場にしまうため通路に入ろうとしたが、入口付近にしやがみ込んでいる被控訴人が邪魔になるので、そこを明けるようにと二、三度声をかけたところ、被控訴人は「今気分が悪いから少し待つて下さい」と答えたが、野村にはこれがよく聞き取れなかつたうえに、その前に五島から被控訴人が前示のようないたずらをしたことについて報告を受けていたこともあつて、野村は被控訴人がことさら通路を塞いで自転車の格納を妨害しているものと思い込み、しやがんでいる被控訴人の肩をつかんでゆすつたりして立ち上るよう促した。被控訴人は、前示のように、気分が悪いため野村にもその旨を告げて寸刻の猶予を求めているにもかかわらず、野村がこれを顧みないでなおもこのような態度に出たのに立腹して立ち上り、「自分が何をしたというのか。気分が悪いから待つてくれといつているのに解らないのか」と強い調子で野村に抗議した。これを見た小林は、あわてて電話を切つて被控訴人と野村との中に割つて入り、両者を分けるとともに被控訴人に加勢する形で野村に詰め寄つたので、今度は小林と野村との口論となつた。この様子を見ていた五島がほんの十数メートル離れたところにある荏原警察署の荏原中延派出所に駈けつけてこの旨を急報したので、同派出所で勤務中の吉賀正幸巡査(控訴人の補助参加人)が右現場に赴き、口論中の野村と小林とを引き分けて事情を聞いたところ、野村は被控訴人の前示女店員らに対するいたずらのことおよび自転車格納の妨害のことを告げた。そこで、同巡査は、当時警察官になつてまだ約半年になつたばかりでこのような場合の取扱いに馴れていなかつたため、その処理を他の警察官に委ねようとの考えもあつたので、「ここでは人通りもあつて交通の妨害になるから、近くの交番へ行つて話をしよう」といつて野村や被控訴人らに同行を求めたところ、野村はもとより小林も比較的素直にこれに応じて任意に派出所に行くことにしたが、被控訴人は「自分は何もしていないのに交番に行く必要はない」といつて拒否の態度を示した。しかし、同巡査が被控訴人の右腕をつかんで連れて行くままに被控訴人も右派出所に赴いた(右日時ごろ吉賀巡査が被控訴人および小林を右派出所に同行したことは当事者間に争いがない。)。

(2)  派出所に入ると、奥の休憩室に休息仮眠中であつた班長の訴外高萩秀幹巡査が起きてきて、何をしたのだと大声で聞き、吉賀巡査から前記の経緯の簡単な報告を受けると、被控訴人らの弁解も聞かずに、「貴様たち、常習犯だな」と大声できめつけた。被控訴人は、高萩巡査からいわれて右派出所内の見張所にある椅子にかけ、同巡査から住所・氏名などを聞かれたが、同巡査の態度に強く反撥していたので、これに対して素直に答えず、結局、最終的には氏名と年令はいつたが住所はただ王子と答えた程度であつた。たまたま小林が尿意を催し、その旨を申し出たので、吉賀巡査が案内して派出所裏の便所に行つた。被控訴人は、高萩巡査から前示のように一方的かつ高飛車にきめつけられたことに強く反撥し、「自分が何をしたというのか」と同巡査に詰め寄つたところ、同巡査は「しらばつくれるな」とどなりつけた。その時、野村および五島は、同巡査に対し、被控訴人が五島らの臀部にさわつたことおよび野村が自転車をしまうのを被控訴人が妨害したことなどをこもごも訴え、それに対して被控訴人が強く否定したので、野村らおよびこれを支持する高萩巡査と被控訴人との口論となつた。そこへ小林を便所まで案内した吉賀巡査が一人で戻つてきて、高萩巡査と二、三言交した後、いきなり被控訴人の両腕をつかまえ、「この野郎、常習犯だ」といいながらドアーをあけて奥の休憩室の廊下(土間)に引きずり込み、そこを高萩巡査が被控訴人のうしろから手拳をもつて両肩から首筋にかけて三、四回強く殴りつけ、その瞬間被控訴人は壁際に倒れかかつたが、吉賀巡査が被控訴人の両腕をつかまえたまま放さないでいるところを、高萩巡査はさらに左脇から被控訴人の腹を靴で二回ばかり蹴り、被控訴人が左足をあげて自己の腹をかばつたところを、同巡査はその足をも二、三度蹴りつけ、その勢いで被控訴人が壁際に倒れたため、被控訴人をつかまえていた吉賀巡査がその手をパッと放したので、被控訴人が前のめりになつたところを、なおも高萩巡査は被控訴人の腰を二、三回蹴り、「この野郎、あやまれ」といいながら被控訴人の手を引いて見張所の椅子に連れて行きそこにかけさせたが、右暴行により被控訴人の着ていた背広の上衣の両脇の下の部分にほころびが生じた。吉賀巡査は、右のように被控訴人の手を放すとすぐに外に出て行き、被控訴人が前示椅子にかけたとき小林を連れて入つてきてその前を通り、奥の休憩室に小林を入れてそこで同人から事情を聴取した。その時も、被控訴人と高萩巡査との間に口論が続いたが、間もなく同巡査が警察官職務執行法第三条に基づき被控訴人を保護するため電話で荏原署にパトロールカーの出動を要請したので、それが数分後に到着し、被控訴人は右パトロールカーの乗務員に引き渡され、小林(自発的に乗車)とともにパトロールカーに乗せられて荏原署に赴き、吉賀巡査もまた別途自転車で同署に行つた(被控訴人が派出所から荏原署までパトロールカーに乗車したことは当事者間に争いがない。)。

(3)  同日午後一〇時半ごろパトロールカーに乗つた被控訴人らと自転車の吉賀巡査がほぼ同時に荏原署に到着し、署内に入ると、すでに高萩巡査から電話連絡を受けていた当直(保護取扱を分担)の福崎秀三巡査(控訴人の補助参加人)が玄関付近に出迎え、「お前ら何をしたのだ」とどなりつけたうえ、吉賀巡査から事情を聞いたあと、同巡査とともに被控訴人を同署の事務室といわゆる「公衆溜り」を隔てるカウンターの前に立たせて住所・氏名などを問い質した。これに対して被控訴人は、かなり酩酊していたうえに、派出所に連行されて前記のような暴行を受けた後さらにパトロールカーで荏原署に連行されたことにいたく憤慨していたので、身分証明書の入つた定期券入れを取り出してカウンターの上に叩きつけるように置き、住所・氏名を知りたければ身分証明書を見ればよいとの態度を示した。すると、カウンター内から被控訴人に対面していた二名ばかりの警察官(氏名不詳)が被控訴人のこのような態度を見とがめて、いきなり手を伸ばして被控訴人の頭部をこづこうとした。一方、小林は、荏原署に入るとパトロールカーの乗務員につき添われて玄関脇に造りつけになつている外来用の長腰掛の玄関寄りの端に腰をおろして質問を受けていたが、前示のように被控訴人が警察官らからこづかれようとするのを見てあわてて飛び出してきて、その警察官らの手を払い除けた。すると、被控訴人の脇にいた福崎巡査がやにわに手拳で被控訴人の頭部を横から一回殴打し、小林が「お巡りさんが暴力を振つてもいいんですか」と強く抗議すると、同巡査は暴行をやめたが、今度はやはり被控訴人の横に連れ添つていた吉賀巡査が、被控訴人の両肩をもつて被控訴人を前記長腰掛目がけて強く突き飛ばしたため、被控訴人は右長腰掛に腰のあたりを打ちつけたうえ土間に転げ落ちて四つん這いになつた。被控訴人は、すぐ近くにいたパトロールカーの乗務員によつて助け起されて右長腰掛に腰をおろし、他方、小林は、吉賀巡査に対しても「警察官がそういうことをしてもいいんですか」と強く抗議した。その後、間もなく、福崎巡査が被控訴人および小林の両名に対し、「もう用はないから帰れ」と退去するように告げたので、小林が被控訴人を促していつたん同署の玄関を出たが、被控訴人が前記警察官に提示した定期券入れの返却を受けていないのではないかと気づき、小林にも協力してもらつて洋服のポケットなどを捜したが見つからなかつたので、再び同署内に立ち戻り、小林から定期券入れを返してほしい旨福崎巡査に申し出たところへ、被控訴人も「警察官が自分の定期を盗んだ、泥棒だ」などといつたので、同巡査も怒つて「警察を泥棒呼ばわりする気か」と答えた。そこで、被控訴人は、背広をカウンターの上に置いて、定期券入れを返してもらつていないことを確かめるように求めたところ、数名の警察官が背広を改めているうちに、どこからか定期券入れが発見されて被控訴人に渡されたので、被控訴人と小林は同署を退去した。

(4)  荏原署を出た被控訴人と小林は、同日午後一一時過ぎごろ徒歩で荏原中延派出所前に至り、そこで小林は、道路を隔てて同派出所の向いにある池上線荏原中延駅から五反田を経て帰宅するはずの被控訴人と別れてすぐ近くにある自己の住込勤務中の東洋バーナー株式会社に帰ろうとしたところ、被控訴人が右派出所において先刻なぜ警察官から暴行を受けたのかその理由を聞きに行く旨主張して譲らないので困惑し、「あのようなことをする警察官ではそれはあぶないから、聞きに行くのは明日にして、今晩のところはとにかく帰つた方がよい」と極力そのまま帰宅するよう勧め、被控訴人を同駅に連れて行つて改札口の中へ押し込んだが、被控訴人はすぐ出てきて、どうしても派出所へ行く旨主張してやまないので、時間的にも大分遅くなつて翌日の勤務にも差し支えるのを恐れた小林は、やむなくそこで被控訴人と別れた。そのあとで、被控訴人は派出所の入口に赴き(被控訴人が再度派出所に赴いたことは当事者間に争いがない。)、勤務中の吉賀巡査および同日朝から警察機動隊勤務に同派出所から派遣されて帰つてきたばかりの佐藤征男巡査(控訴人の補助参加人)の両名に対し、「なぜ同派出所であのような暴行を受けなければならないのか、暴行を受けなければならないほどの悪いことをしたのか」と詰問した。これに対して、まず吉賀巡査が出ていつて、「帰りの電車もなくなつてしまうから」となだめるようにいつて、被控訴人の肩を押して前記駅のそばまで行つて戻ると、被控訴人はまたやつてきて、なおも「お巡り、話がある」等とわめき立てたので、今度は佐藤巡査が出て被控訴人を派出所内に招じ入れ、見張所内の椅子に腰かけさせたところ、その椅子の安定が悪かつたせいもあつて、被控訴人は椅子から落ちて尻餅をつくようなこともあつたが、両巡査とも被控訴人の右のような抗議には取りあわなかつた。その時、被控訴人は佐藤巡査に対し、自分の友達にもお巡りがいるが、お巡りがこんな乱暴をして殴る蹴るなどということは聞いたことがない」といつたところ、同巡査はその警察官の住所・氏名を聞くので、被控訴人は荒川(荒川署といつたのではない。)の渡辺である旨答えたところ、これを傍らで聞いていた吉賀巡査が荒川署に電話照会したらしく、「荒川署には渡辺などという警察官はいないといつてきた」といつた。一方、高萩巡査は、そのころ被控訴人の処置につき荏原署に電話で問い合せたところ、保護室が一杯だからできたら交番の方から返すようにとの回答であつたので、これを聞いた佐藤巡査は、被控訴人の家族を呼んで同人を引き渡すため、被控訴人の自宅の電話番号を聞いたところ、被控訴人は当時の間借先の家主の電話番号をその旨明示しないで教えたので、吉賀巡査がかけた電話が先方からかけ間違いであるとして切られ、さらに一、二度ダイヤルを廻したけれども、深夜であることもあつて先方が電話に出なかつた。そこで、佐藤巡査が替つてまた四、五回かけてみたが、やはり同様に通じなかつた。そこで佐藤巡査は被控訴人に対し、「お前は嘘ばかりいつている」といい、これに対して被控訴人が「自分は大東亜戦争にも行つたことがあるし、いまだかつて嘘などいつたことがない」と答えたことから口論になり、佐藤巡査は「お前みたいな奴が兵隊に行くから日本は戦争に負けたのだ」といいながら、被控訴人の左腕を取つて第一回目に高萩巡査らから暴行を受けた場所と同じ奥の休憩室の廊下(土間)に連れ込み、被控訴人の腹部、背部、足等を無数に蹴り、被控訴人の抗議に対して、「この野郎、お前らに出るところに出ることができるか。くやしかつたらどこへでも出てみろ」などと答え、なおも被控訴人を足蹴にし、被控訴人がこらえ切れずにその場に倒れると倒れた被控訴人をさらに無数に蹴つたり踏みつけたりする等の暴行を加えた。それと前後して、高萩巡査が荏原署へ電話し、被控訴人の処置について相談したところ、パトロールカーを派遣するから保護のため連行するようにとの回答を得たので、間もなくやつてきたパトロールカーに再び被控訴人を乗せて荏原署に連行し、高萩巡査もすぐ自転車で荏原署に赴いた(被控訴人が派出所から再度荏原署にパトロールカーに乗車したことは当事者間に争いがない。)。

(5)  荏原署では、福崎巡査が出てきて、被控訴人を見るなり「この野郎、また何しにきたか、貴様みたいな酔払いに用はないんだ、帰れ」と大声でいつたり、「豚箱へ入れてやるか」等とおどしたりした。被控訴人は「豚箱へ入れるだけの理由があるなら、入れても結構です」と答えると、近くにいた他の警察官ら(氏名不詳)が「この野郎、ふざけるな、あやまつて帰れ」などといつた。被控訴人は「今時分帰れといつても、もう電車もないし、王子まで帰るだけの車賃も持つていない」というと、福崎巡査らは勝手に被控訴人の身体に触つて洋服のポケットから財布を取り出し、中を調べて「一二五円入つているではないか、これなら五反田の駅まで行ける」といい、そして前記の他の警察官らが被控訴人を荏原署の外へ急いで連れ出し、通りかかつたタクシーを止めて五反田駅まで送るようにといいながら被控訴人を右タクシーに押し込んだ。こうして、被控訴人は第二回目に荏原署にきてから、わずか数分でそこを退去させられた。

(6)  被控訴人は、高萩、吉賀、福崎および佐藤の各警察官による以上のような各暴行により一五日間の通院加療を要する頸部、背部、腹部等の打撲症を負つた。

以上の認定に反する〈証拠〉は、いずれも採用できない。

二被控訴人の受けた右暴行傷害は、控訴人の公権力の行使にあたる警察官である高萩、吉賀、福崎および佐藤の各巡査がいずれもその職務を行うについて被控訴人に対してなした前記一(2)ないし(4)の各行為によつて生じたものであること明らかであるから、控訴人はこれによつて被控訴人の被つた損害を賠償する義務がある。

ところで、控訴人は、被控訴人を派出所および荏原署に連行したのは被控訴人を泥酔者ないし酩酊者として保護するための措置をとる目的からであつた旨主張し、高萩、吉賀、福崎および佐藤の各巡査も証人としてその旨を供述する。しかしながら、かりに右主張が真実であり、右警察官らが被控訴人を派出所および警察署に連行したことが違法でなく正当であつたとしても、高萩、吉賀、福崎および佐藤の各巡査が被控訴人に対して加えた前記各暴行までも正当化される理由はなく、したがつて、控訴人が損害賠償責任を免れるものでもないのみならず、前認定の事実関係からすれば、なるほど被控訴人は本件暴行を受けた当時相当酩酊していたことは認められるが、「でい酔」(警察官職務執行法第三条)していたとか、被控訴人自身の言動、周囲の状況等からして「本人のため、応急の救護を要すると信ずるに足りる相当の理由があると認められる」(「酒に酔つて公衆に迷惑をかける行為の防止等に関する法律」第三条)ほどの状態であつたとは到底認めることができない(この認定を動かしうる証拠はない。)。

三被控訴人の被つた損害

(1)  治療費 一、六七五円

〈証拠〉によると、被控訴人は前記傷害の治療のため昭和四〇年一〇月六日から同月二〇日までの間労働者クラブ生活協同組合付属病院に通院し、合計一、六七五円の治療費を支払つたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

(2)  休業によつて喪失した得べかりし利益 二七、〇〇〇円

〈証拠〉によると、被控訴人は本件当時東洋バーナー株式会社に熔接工として勤務し、日給一八〇〇円を得ていたこと、前記受傷およびその治療のため、昭和四〇年一〇月六日から同月二〇日までの一五日間就労できなかつたことが認められ、右認定に反する証拠はない(右期間中の同月一〇日および一七日が日曜日であることは暦法上明らかであるが、〈証拠〉によれば、当時は右会社の書入時ともいうべき秋の最中にあたり、とくに取引先の休日を利用してボイラーや暖房装置などを取りつける作業に多忙であつて、本件受傷がなかつたならば右両日曜日にも被控訴人は出勤するはずであつたことが認められ、これに反する証拠もない。)。したがつて、被控訴人は右一五日間の就労によつて得べきであつた賃金額二七、〇〇〇円を前記受傷によつて喪失したことになる。

(3)  弁護士費用 一二万円

〈証拠〉によれば、被控訴人は本訴第一審請求手続をするについて弁護士鳥生忠佑ほか一名に訴訟代理を委任し、昭和四〇年一一月一一日着手金として五万円を支払つたこと、当審において被控訴人は同弁護士ほか四名の訴訟代理人らに対し、昭和四五年四月二九日付契約をもつて控訴審が終つたら実費として七万円を支払う旨を約して同額の債務を負担したことがいずれも認められ、右認定に反する証拠はない。

ところで、〈証拠〉によれば、本件発生の直後、被控訴人の妻市子が被控訴人の受けた前示暴行について警視庁王子警察署を通じて厳重に抗議したところ、同月七日荏原署の池村善永部長から、被控訴人が本件当日荏原署からの帰途五反田駅より品川駅までの間無賃乗車をした嫌疑があるので荏原署に電話するようにとの連絡を受け、被控訴人が荏原署に電話して、右区間は定期乗車券によつて乗車した旨述べたところ、池村は無賃乗車の点には触れることなく、被控訴人の受けた傷の状態について尋ね、被控訴人が酒に酔つて派出所に殴り込みをかけ、警察官に暴行を加えたので、防衛のため殴打したものである旨弁明したうえ、無賃乗車の点については嫌疑が晴れたといつて電話を切つたこと、同月一二日市子はさらに被控訴人の勤務先の社長二藤忠に依頼して一緒に荏原署に抗議に行つてもらい、署長にも面会して補償等について善処を要望したが、よく調査したうえでないと回答ができないといわれて退去したこと、同月一四日荏原署警務部の大橋貞雄警部補が被控訴人方を訪問し、本件について事情を聴取し、供述録取書を作成したが、右供述録取書には被控訴人の供述内容とかなり相違するところがあつたので、被控訴人がこれに抗議して訂正を求めたところ、大橋は訂正する旨言明しながらその後もこれを訂正しなかつたこと、同じころ小林も遠藤啓二警部補から事情を聴取されたが、小林の供述録取書にもやはり供述内容を改変してことさら事実を隠蔽するような記載がなされていたため、小林が訂正するよう求めたにもかかわらず、事情聴取にあたつた遠藤は言を左右にしてこれに応じなかつたこと、さらに、同月一九日荏原署の署長が被控訴人と前示二藤社長の二人を同署に呼び出し、被控訴人らがこれに応じて出頭したところ、署長、次長ならびに大橋警部補らの同署首脳部が面会し、こもごも高萩、吉賀、佐藤各巡査らの勤務成績、勤務状態が良好であつていずれも優れた警察官であることを強調し、怪我をした被控訴人には気の毒であるが、このような優秀な警察官が暴行を働らくとは考えられないと述べて、暗に被控訴人に泣き寝入りすることを示唆したことが認められ、右認定に反する〈証拠〉はたやすく信用しがたく、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

右の事実からすれば、警察側の本件に対する態度は、事実を隠蔽し被控訴人の口を封じて本件暴行事件を闇から闇に葬り去ろうとするにあつたことは明白であり、被控訴人の本訴請求に対する控訴人の応訴、とくに本件控訴は、警察側のこのような態度を受けてなされたものであることも明らかであつて、それ自体著しく不当なものというほかはない。もとより、現実に不法行為を行つた前記四警察官と損害賠償義務者である控訴人とは別個の法主体であることはいうまでもないが、それだからといつて両者を一体とみて控訴人の応訴の不当性を判断することが許されないわけではなく、むしろそうすることが国家賠償法の立法趣旨に適合するものというべきである。そして、前記警察官らの被控訴人に対する暴行は、本来国民の生命、身体、財産の保護の任にある警察官(警察法第二条)が、善良な市民であり当時酩酊していてほとんど無抵抗の被控訴人に対して一方的に加えたものであつて、極めて違法性が強度であることおよび右暴行の事実をことさら隠蔽して事件を闇から闇に葬り去ろうとした警察側の立場を受けてした被控訴人の応訴の不当性、その他本件における諸般の事情に鑑みると、控訴人は被控訴人が支払いまたは支払義務を負担した前記全弁護士費用をも右不法行為と相当因果関係に立つ損害として賠償すべき義務があるというべきである(最高裁昭和四四年二月二七日判決、民集二三巻二号四四一頁参照)。

(4)  慰藉料 三〇万円

前述のような警察官らによる違法不当の暴行を受けた被控訴人の精神的苦痛は、その受傷に伴う肉体的苦痛とともに甚大なものであつたことは推認するに難くない。そのうえ、控訴人の不当応訴、とくに原審において控訴人は一部敗訴の判決を受けるや、本件控訴をあえてなし、これに前示暴力を振つた警察官らの補助参加もあつて、被控訴人はこれに対処して自己の権利を擁護しなければならない境地に立たされ、一方、〈証拠〉によれば、本件暴行によつて受傷した後、被控訴人はかなり長い期間その後遺的症状に苦しみ、それは軽くはなつてもなお今日にも及んでいること、そのため勤務先の前記会社にも散発的な欠勤が多くなつて収入の減少をきたし、ことに、本件受傷当時妊娠中であつた妻市子が経済的事情から中絶手術を受けることを余儀されたほか、他にもいろいろの生活上の苦しみを受けたことが認められ、これらによる精神的苦痛の増大も慰藉料額の認定にあたつて考慮すべきである。

しかしながら、さらに、本件のよつてきたるところを考えてみると、本件は被控訴人が酔余のいたずらに前記二人の女店員らの臀部にさわつたことから端を発したものであり、もしこのことがなければ、感受性の強いうら若い女店員らが被控訴人に対して嫌悪感ないし恐怖感を抱くことなく、ひいては野村も警察官らも被控訴人に対して痴漢であるとの先入感を持つことなく接したであろうことは容易に想像されるところであり、そうすれば、野村と被控訴人との間にそもそも最初から無用のトラブルが発生しなかつたであろうと推測され、ことの発端において被控訴人にもこのように社会生活上非難に値する点があつたばかりでなく、さらにまた、その後の経過においても、被控訴人は本件当時かなり酩酊していて理性的行動に欠けるところがあり、警察官らに対してもことさらに刺激するような言動をなし、前記警察官らによる暴行が被控訴人のこのような言動に触発された面があることも前示認定事実から否定しえないところである。勿論、このことによつて前記警察官らの行為を正当化するものではないが、被控訴人の慰藉料の算定についてはこの点をも斟酌すべきである。

そして、以上の諸事情に本件受傷の部位、程度、被控訴人の社会的地位その他一切の事情を総合すると、被控訴人の精神的苦痛は三〇万円をもつてこれを慰藉するに足りるものと解するのが相当である。

四以上説示のとおりであるから、控訴人の本件控訴は理由がなく、また、被控訴人の本件付帯控訴について、被控訴人の原審における請求のうち、休業によつて喪失した得べかりし利益相当の賠償額中三、六〇〇円および慰藉料額中一五万円の合計一五三、六〇〇円ならびにこれに対する本件不法行為の行われた日である昭和四〇年一〇月五日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分を棄却した原判決は不当であるから、原判決中右部分を取り消し、右請求部分を認容することとするとともに、当審において被控訴人の拡張請求にかかる弁護士費用相当額七万円の賠償請求はこれを正当として認容し、慰藉料額二〇万円の請求はこれを失当として棄却すべきである。

よつて、訴訟費用の負担につき民訴法第九五条、第八九条、第九六条、第九二条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条第一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。(桑原正憲 高津環 浜秀和)

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